小論文『生きることはリアクションの連続』

 

f:id:yurayura66:20200821181030j:plain

 

1.

突然ですが、生きることはリアクションの連続だと思うんです。

 

リアクションとカタカナで書くと、リアクション芸人みたいに特定のイメージを持ちそうになりますが、ここで扱いたいのは英語の元々の意味、”reaction” = 反応・反動です。

それが連なってこの世界が成り立っているんじゃないか? というお話しです。

 

例えば、

食事をするのはお腹が空いたことへの反応で、眠りにつくのは体を使ったことへの反応。

勉強をするのは、例えば親に強制されたので、それに怒られない為。またはたくさんの事を知って、いろいろな考え方を持てるようにする為。

 

親に不当な扱いを受けた子どもは、

例えばそれを自分の子どもへ全く同じように繰り返してしまうかもしれないし、

または親と同じことはしたくないと反面教師にして、大切に育てようと努力するかもしれない。

多かれ少なかれ、何かしらの影響は受けるはずです。

 

それから、「風が吹けば、桶屋が儲かる」なんていうことわざがあります。これはある出来事があり、そこから思いもよらぬところに影響が出てくるという意味です。

これはリアクションの連鎖によるものです。

 

つまり、この世のものすべてが、様々なことへの反応で出来ており

次へと進んでいると僕は考えています。

 

 

2.

 

そこから派生した考えですが、

すべてのことは、少なからず因果関係にあると思います。

 

天候や地殻変動などの自然の道理はもちろん、

人為的な災害や病原ウイルスの拡大、

そして人のこころも、複雑にさまざまな事柄が絡み合い、

確かな関係性をもって変化を招いているのだと思うのです。

 

それゆえ、私はすべての事象は「必然」であると思っています。ぜんぶ、起こるべくして起こっているのだと。

「必然」の反対語として「偶然」がありますが、「偶然」というのは、その人の希望を反映した見方なのであって、あくまで「必然」の範疇にあると思います。

 

「奇跡」という言葉も同じく、「必然」の中で

そんなことあるんだ、という確率(考えうる可能性)を加味しての価値観だと思います。

 

 

3.

実にシンプルな仕組みで世の中が出来ているのですが、これをちゃんと理解出来ている人はほとんどいないと思います。

 

近所にある保育園に対し、子どもたちの騒ぐ声がうるさいと文句をつける人たちがいます。

子どものはしゃぎ声なんてむしろ僕は聞いていたいですが、、

とにかく、子どもに対してずっと静かにしていろというのがおかしな話です。

 

もちろん文句をつける大人らの行動も、騒ぎ声を不快に感じてのリアクションに違いないのですが、 

想像力が足りてない為に、短絡的にこのような反応を示してしまうと思うのです。

 

その人の性格や環境を考えれば「必然」の結果ですが、

考え方を改めることが出来れば、違った結果(思考)になるはずです。

 

しかし理性を伴ったリアクションをとることは、単純なことですが、理解することが途方もなく難しいのです。

それゆえに怒りや悲しみといった感情が生まれてしまい、新たな問題を引き起こしてしまうのです。

 

 

4.

ここで「リアクション」と僕が示したのは、あくまで数ある表現の中のひとつに過ぎません。

この言葉が自分にとって、一番わかりやすくこの世の事象を表してくれると思ったから選んだまでです。

 

身近な問題でも、国際的な問題でも、

まず根本から理解することが、解決への最善策(意外な近道)であると考えてます。

 

生きることはリアクションの連続。

きっと、それが理解できないのは、こころに余裕がないからだと思います。

これがこうなったのは、こういう理由があったからだ、と考えを整えられたら、

もう少し幸せに生きることが出来るんじゃないのかなーと思ってます。

 

もし、あなたが身の回りの人々との間で問題があるのなら、

物事を出来るだけシンプルに見れば、おのずと解決への糸口が見つかるかもしれません。

僕自身も、これを実践していけたらと思います。

 

 

 

 

 

 

 ※音量注意。

 

 

 

 

参考文献:いろんな人々