私と平沢進の関係について幾つか分かったことがある。
・私は彼を「ヒラサワ」と呼び、彼は私を「馬の骨」と呼ぶ。
・私にとって彼は宇宙人気取りのシャイボーイである。
・また偉大なツンデレ気取りである。
・彼は音を鳴らす。その音はすべてを覚っているかのように、私の耳に許しを請いにやって来る。
・そこに宗教っぽさを感じても宗教性を感じてはならない。
・彼にとって音楽は、彼の中身をあらわにする表現手段のひとつなのか、それとも彼の第一の言語であるのか、その境界線はあいまいだ。
・私は長らくデジタルな音に否定的であったが、彼の造り上げる音像の迫力を前に考えを改めるに至った。無機質で広がりに欠ける音も、配置によって美しくなるのだ。
・彼のように器用になりたいものである。
・七作目のソロアルバム『救済の技法』の頃に彼はデジタルの巨人になった。
・一流のアーティストには共通することだが、ひとつひとつの音に素晴らしく気を配っており、それは聴くほどに分かる。
・彼の楽曲ではよく、本筋とは別のところでメロディーが鳴っていたり、それが大きな流れ、うねりとなることがしばしばある。
・彼の音楽は執拗に私の耳にからみつく。
・彼が決して自分ファーストでないことが骨身にしみる。
「ヒラサワ」に出会って早四ヶ月。僕の迷走はとどまる所を知らない。
誰か道を教えてくれ。
(ヒラサワ ≠ ヒラマサ)